終戦記念日
はいさい。
しばらくぶりの更新です。
昨日は65回目の終戦記念日でした。
去年、沖縄本島に行った時に平和祈念公園に行ってきました。
今現在は本土の人もウキウキと降り立つ沖縄。
でもほんの65年前、沖縄の地はおぞましい地獄絵図。
私のおじいは、南方で、マラリアにかかり、部隊に置いていかれたそうです。
そして、おばあが恋をした人は本土から来た伊豆の兵隊さん・・・。
全て、現実。
私がまだ中学生の頃、沖縄戦で、多くのウチナンチュが日本兵に自決を強要されたと知って、
沖縄の血と本土の血が混じった私は何度も悩みました。
“あの頃だから”多くの人がこう言って様々なことをのみこんでいます。
広島も長崎も、言葉にならぬ思いをしまいこみ、今の時代を築きあげました。
でも・・・その時代をくぐりぬけた、多くの方たちの消息が不明という今の日本の事実。
私達は何を見て、思い、考え、行動してゆけばよいのでしょう。
私の中の本土の血ができる償い。
真太陽屋(まてぃだや)を続ける理由の一つです。
そして、もう一つの血である宮古島の血は、魂がいつか帰れるようにと求め続けています。
お願いです。知って下さい。華やかな楽園の傷は、まだ癒えていません。
そして、遠いところを生きていた人ではなく、くぐりぬけたあなたのおじいおばあはどこにいますか?先祖は。
会いにいくのが不可能ならば、せめて、心の中で、祈りを。
アナタノイノチ、テンニカエスマデイキヌイテ。
ヒトリノイノチハドコニモナイノデス。オオキナワノナカ・・・。
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